芝のろくに生えていない公営コースのハードパン(硬い地面)で、彼はゴルフを覚えました。父親を知らず、墓掘り人の祖父に育てられ、小学校もまともに通えず、海兵隊で4年を過ごす。リー・トレビノが世に出たとき、すでに27歳。育ちも肌の色もスイングも、当時の「カントリークラブのスポーツ」だったゴルフの主流とはまるで違いました。それでも彼は、1968年の全米オープンでジャック・ニクラスを4打差で退けて初メジャーを掴むと、1971年には**全米オープン・カナディアン・オープン・全英オープン ― 3つの「ナショナル・オープン」をわずか1か月足らずで同年制覇**するという離れ業を演じます。1975年には落雷の直撃を受けて背中を痛め、手術台に上がりながらも復活し、1984年には44歳で6つ目のメジャーを掲げました。マシンガンのように喋り、ギャラリーを笑わせ続けた「メリー・メックス」― ゴルフの間口を広げた陽気な革命児の人生を辿ります。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1939 | 12月1日、米テキサス州ガーランドに生まれる。父を知らず、墓掘り人の祖父のもとで貧しく育つ |
| 〜1950s | 幼くしてダラスの公営コースでキャディ・球拾いを始め、芝のないハードパンで独学のスイングを身につける |
| 1956 | 17歳で海兵隊に入隊。約4年間を過ごし、軍内のゴルフを通じて腕を磨く |
| 1960年代前半 | 除隊後、エルパソでクラブ・プロ/練習場の番人として働きながら、賭けゴルフで生計を立てる日々 |
| 1967 | 全米オープンで5位に入り、一気に注目を集める |
| 1968 | 全米オープン(オークヒル)でプロ初優勝=初メジャー。ニクラスを4打差で破り、全米オープン史上初めて4ラウンドすべてをパー以下(69-68-69-69)で回る |
| 1970 | ヴァードン・トロフィー(最少平均ストローク)初受賞。以後5度受賞する正確無比のショットメーカーに |
| 1971 | 「3ナショナル・オープン」― 全米オープン・カナディアン・オープン・全英オープンを同年制覇。全米OPはニクラスとのプレーオフを制覇。PGA年間最優秀選手・スポーツ・イラストレイテッド誌「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」・AP通信「男子最優秀アスリート」を総なめ |
| 1972 | 全英オープン連覇(ミュアフィールド)。トニー・ジャクリンとの死闘を制す |
| 1974 | 全米プロ選手権制覇(タングルウッド・パーク)。ニクラスを1打差で振り切ってメジャー5勝目 |
| 1975 | 6月、ウェスタン・オープン(バトラー・ナショナル)で落雷の直撃を受け負傷。のちに損傷した椎間板を除去する背中の手術を受け、以後も腰痛と闘いながらのプレーに |
| 1981 | 世界ゴルフ殿堂入り |
| 1984 | 全米プロ選手権で2度目の優勝(44歳)。落雷と手術を乗り越えての、6つ目にして最後のメジャー制覇 |
| 1989〜 | 50歳でシニア(現PGA TOUR Champions)に参戦し、29勝を積み上げる第二の黄金期 |
芝のない地面から這い上がった男が、ゴルフ界の頂点に立ち、落雷と手術を越えてなお勝ち続ける ― トレビノのキャリアは、ハングリーさと不屈さの結晶でした(World Golf Hall of Fame / PGA TOUR)。
1968年、ニューヨーク州ロチェスターのオークヒル・カントリークラブ。前年の全米オープンで5位に食い込んで注目され始めていたとはいえ、リー・トレビノはまだほぼ無名の存在でした。育ちはダラスの公営コース、肩書きはエルパソのクラブ・プロ。エリートアマからの叩き上げが主流だった当時のゴルフ界で、彼は明らかに異端でした。
ところがこの週、トレビノは一切スコアを崩しませんでした。初日69、2日目68、3日目69、最終日69 ― 4ラウンドすべてをパー以下で回り切ります。これは全米オープン史上初めての快挙でした。トータル275(5アンダー)は当時の大会タイ記録。2位に沈んだのは、すでに「帝王」と呼ばれていたジャック・ニクラスで、その差は4打でした(USGA / U.S. Open)。
プロ転向からわずか数年、賞金もろくにない練習場の番人だった男が、ゴルフ界の絶対王者を真っ向から打ち負かした ― この勝利は、ゴルフが「育ちの良い者のスポーツ」ではないことを世界に示す象徴的な瞬間でした。トレビノはこの初優勝を、貧しかった少年時代を支えてくれた人々に捧げています。
トレビノの名を不滅にしたのが、1971年初夏の約20日間です。彼はこの短期間に、世界で最も歴史ある3つの「ナショナル・オープン」を立て続けに制覇しました。
この3勝は、それぞれ全英オープン(1860年創設)・全米オープン(1895年創設)・カナディアン・オープン(1904年創設)という、PGA TOURで最も古い3大会にあたります。同じ年にこの3つを制したのは、ゴルフ史でもごく限られた偉業です(The Open / R&A / Wikipedia 照合)。
この年のトレビノはまさに時代の主役でした。PGA年間最優秀選手に選ばれ、さらにスポーツ専門外の栄誉であるスポーツ・イラストレイテッド誌「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」、AP通信「男子最優秀アスリート」にも輝きます。翌1972年には全英オープンを連覇し、トニー・ジャクリンとの息詰まる打ち合いを制しました。
1975年6月、イリノイ州オークブルックのバトラー・ナショナルで開催されていたウェスタン・オープン。天候が急変し雷雲が垂れ込めるなか、トレビノはジェリー・ハードらと18番付近で中断を待っていました。そこへ ― 近くの池に落ちた雷が跳ね、居合わせた選手たちを直撃します。トレビノは背中に火傷を負い、命に別状はなかったものの、脊椎を痛めました(Golf Digest / Today's Golfer)。
のちに彼は損傷した椎間板を除去する手術を受けますが、腰の痛みはその後のキャリアを通じて彼を悩ませ続けました。それでもトレビノは諦めませんでした。落雷後も8勝を積み重ね、その集大成として1984年、44歳で全米プロ選手権を制覇 ― 6つ目にして最後のメジャータイトルを掲げます。
この落雷事件は、彼一流のユーモアとともに語り継がれています。「また雷雲が来たらどうする?」と記者に問われたトレビノは、こう答えました ― 「1番アイアンを取り出して天に突き上げるさ。神様だって1番アイアンは打てないんだから」。死の淵に立たされてなお人を笑わせるその姿勢こそ、トレビノという人間そのものでした。
| 項目 | 数字 | メモ |
|---|---|---|
| PGA TOUR 通算優勝 | 29勝 | 1968〜1984年 |
| メジャー優勝 | 6勝 | 全米OP 2(1968・1971)/全英OP 2(1971・1972)/全米プロ 2(1974・1984) |
| 1971年の偉業 | 全米・カナダ・全英の3ナショナル・オープン同年制覇 | PGA最古の3大会を同じ年に制した稀有な記録 |
| ヴァードン・トロフィー | 5回(1970・1971・1972・1974・1980) | 年間最少平均ストローク。正確無比のショットメーカーの証 |
| 1971年の表彰 | PGA年間最優秀選手・SI誌スポーツマン・AP通信男子最優秀アスリート | 3冠を独占した「時代の顔」 |
| 全米オープン | 史上初の4ラウンド全てパー以下(1968・69-68-69-69) | オークヒルでの初メジャーで達成 |
| PGA TOUR Champions 通算 | 29勝(歴代3位級・うちシニアメジャー4勝) | 50歳からの第二の黄金期 |
| マスターズ | 優勝なし | 唯一手にできなかったメジャー(キャリア・グランドスラム未達) |
| 世界ゴルフ殿堂入り | 1981年 |
トレビノが唯一勝てなかったメジャーがマスターズでした。低く曲がる独特の球筋(意図的なフェード)はオーガスタの高い弾道を要求するセッティングと相性が悪く、本人も「自分のゲームには向かない」と語ったと伝えられます。それでも全米・全英・全米プロを制した彼は、ゴルフ史に確かな足跡を残しています(World Golf Hall of Fame / PGA TOUR)。
リー・トレビノを語るうえで欠かせないのが、その話術と人懐っこさです。ショットの合間も止まらないマシンガントークでギャラリーを笑わせ続け、テレビ時代の到来とともに爆発的な人気を得ました。メキシコ系アメリカ人としての出自から「メリー・メックス(陽気なメキシコ人)」「スーパー・メックス」の愛称で親しまれ、それまで「裕福な白人のスポーツ」と見られがちだったゴルフの間口を、大きく押し広げた存在でした。
そのスイングは、コーチに付いて整えられたものではありません。芝の生えていない公営コースの硬い地面(ハードパン)で、独学で身につけたものです。アドレスでフェースを開いて構え、左を向いてアウトサイドから振り抜き、低く打ち出して右へ戻すフェード ― 教科書には載っていない、しかし驚異的に正確な球筋でした。「美しいスイングではないかもしれないが、これは飯の種だ」と語った彼の球は、風に強く、狙った場所に落ち続けました。
彼のユーモアは、しばしば苦境の中で輝きました。1971年のプレーオフでニクラスにゴムのヘビを投げたエピソード、1975年の落雷後の「神様だって1番アイアンは打てない」という名言 ― 緊張やプレッシャー、生死の境さえも笑いに変える胆力が、彼を唯一無二の人気者にしました。
50歳を迎えると、トレビノはシニアツアー(現 PGA TOUR Champions)で第二の黄金期を築き、ここでも29勝を挙げます。1981年には世界ゴルフ殿堂入り。貧しい少年が独学のスイングと持ち前の明るさだけを武器に頂点へ駆け上がった物語は、「ゴルフは誰のものか」という問いに、今も力強い答えを返し続けています。
1971年に、全米オープン・カナディアン・オープン・全英オープンの3つを同じ年に制覇したことを指します。これはそれぞれ全英(1860年)・全米(1895年)・カナダ(1904年)という、PGA TOURで最も古い3大会にあたり、約20日間という短期間で立て続けに勝ち取った稀有な偉業です。
通算6勝です。内訳は全米オープン2勝(1968・1971)、全英オープン2勝(1971・1972)、全米プロ選手権2勝(1974・1984)。マスターズだけは生涯優勝がなく、キャリア・グランドスラムは達成していません。
本当です。1975年6月、イリノイ州のバトラー・ナショナルで行われたウェスタン・オープンの中断中に落雷の直撃を受け、背中を負傷しました。のちに損傷した椎間板を除去する手術を受けますが、その後も8勝を挙げ、1984年には44歳で全米プロを制して6つ目のメジャーを獲得しています。
メキシコ系アメリカ人としての出自と、ショットの合間も止まらない陽気な話術から付いた愛称です(「陽気なメキシコ人」の意)。「スーパー・メックス」とも呼ばれ、テレビ時代の人気者として、ゴルフというスポーツの間口を大きく広げました。
トレビノはツアーを引退しており現役の試合参加がないため、自動更新の選手データページは用意していません。本記事が事実上のプロフィールページです。最新選手のデータは /golfer/ 各ページをご覧ください。
最終更新: 2026-06-04