プロゴルフツアーは、どのように生まれ、世界へ広がっていったのでしょうか。物語は1860年、スコットランドのプレストウィックで開かれた第1回全英オープンから始まります。当初は8人のプロが小さなベルトを争うだけの大会でしたが、やがて舞台は米国へ渡り、全米オープン・全米プロ・マスターズという新たなメジャーが加わります。20世紀後半には商業化と組織化が一気に進み、PGA TOURが独立し、欧州・日本・アジアにもそれぞれのツアーが誕生しました。そして現代、男子プロゴルフは PGA TOUR・DP World Tour・LIV Golf の三極構造を迎えています。この記事では、1860年から2022年まで160年の歩みを、代表選手と出来事を交えながら年代順にたどります。
プロゴルフツアーの起点は、1860年10月17日にスコットランド西岸のプレストウィック・ゴルフクラブで開かれた第1回全英オープン(The Open Championship)です。前年に当時最強のプレーヤーと称えられたアラン・ロバートソンが亡くなり、「では誰が一番強いのか」を決めようという機運から、プレストウィックの会員らが各地のクラブに招待状を送って実現しました(The Open 公式)。
集まったのはわずか8人のプロ。当時のプレストウィックは12ホールのコースで、これを3周する36ホールで競われました。優勝賞金はなく、勝者には赤い革製の「チャレンジ・ベルト」が贈られます。最終的にウィリー・パーク・シニアが174ストロークで、名手オールド・トム・モリスを2打抑えて初代王者となりました。
この時点で世界に存在するプロの選手権はこの全英オープンただ一つ。賞金ツアーと呼べるものはまだ存在せず、ここから160年に及ぶ歴史が静かに始まりました。
草創期の全英オープンを彩ったのは、プレストウィックとセントアンドリュースを舞台にしたモリス親子とパーク親子です。オールド・トム・モリスは1861・62・64・67年に4度優勝し、息子のヤング・トム・モリスは1868年から70年まで3連覇を達成。3連覇で永久にベルトを手にした規定により1871年は大会自体が中止となり、新トロフィー(現在のクラレットジャグ)が用意された1872年にも優勝して、通算4勝を挙げました。
この時代のプロは大会だけで生計を立てられず、キャディやクラブ製作、コース管理を兼業するのが普通でした。全英オープン以外に賞金の出る大会はごくわずかで、有力会員(パトロン)の後ろ盾を得て各地を巡業するのが一般的なスタイルです。
ゴルフはまだ英国(特にスコットランド)のものであり、海の向こうの米国にはこの頃まだプロゴルフがほとんど根づいていませんでした。
ゴルフが大西洋を渡り、米国で組織化が始まったのが19世紀末です。1894年12月、各地のクラブが集まってUSGA(全米ゴルフ協会)を設立。その翌年の1895年、ロードアイランド州のニューポート・カントリークラブで第1回全米オープンが開かれ、英国出身のホレス・ローリンズが初代王者となりました。
全米オープンは同じ会場で第1回全米アマチュア選手権も同時開催され、アマチュアとプロの両競技が米国ゴルフの二本柱としてスタートしました。当初はアマチュア競技のほうが格上と見なされていましたが、全米オープンはやがて世界最高峰のプロ大会の一つへと成長していきます。
この1895年は、ゴルフの中心が英国から米国へと移っていく長い歴史の出発点となりました。
米国のプロたちが自らの職能団体を持ったのが1916年です。同年4月、78人のメンバーが規約を承認してPGA of America(全米プロゴルフ協会)が発足しました。設立を後押ししたのが百貨店王ロドマン・ワナメイカーで、彼は資金とトロフィーを提供します。
そして同年10月、ニューヨーク州のシワノイ・カントリークラブで第1回 PGA Championship(全米プロ)が開催されました。形式は1対1で戦うマッチプレー。初代王者はジム・バーンズで、優勝者にはワナメイカーが寄贈した賞金と金メダルが贈られました(PGA of America)。優勝トロフィーは今も「ワナメイカー・トロフィー」と呼ばれています。
これで全英オープン(1860)・全米オープン(1895)・全米プロ(1916)と、現代まで続く主要選手権が出そろい、米国プロゴルフの土台が固まりました。
二度の大戦に挟まれた1920〜30年代は、ゴルフが国際的な人気スポーツへと飛躍した時代です。プロでは陽気なスターウォルター・ヘーゲンが大西洋を何度も渡って英米のメジャーを制し、プロの社会的地位を押し上げました。
アマチュアではボビー・ジョーンズが1930年に当時の主要4大会、すなわち全英オープン・全米オープン・全英アマチュア・全米アマチュアをすべて制覇する「グランドスラム(年間4冠)」を達成。現在の4大メジャーとは構成が異なる、この時代ならではの偉業でした。
国際対抗戦も整備され、アマチュアのウォーカーカップ(米英、1922年〜)とプロのライダーカップ(米英、1927年〜)が始まります。そして1931年に設立されたオーガスタナショナル・ゴルフクラブが1933年に開場し、次の大きな物語の舞台が整いました。
1930年のグランドスラム達成後に競技を退いたボビー・ジョーンズは、投資家クリフォード・ロバーツとともに米ジョージア州オーガスタに理想のコースを築きます。これがオーガスタナショナル・ゴルフクラブで、1934年にその記念競技として開かれたのが第1回 Augusta National Invitation Tournamentでした。初代王者はホートン・スミスです。
大会は当初「オーガスタナショナル招待トーナメント」と呼ばれましたが、1939年から正式に「マスターズ」の名が定着しました(マスターズ公式)。
これにより全英オープン・全米オープン・全米プロ・マスターズという現代の4大メジャーが出そろいます。4つのなかでマスターズは最も歴史が新しい一方、毎年同じ名コースで開かれる招待制という独自の格式で、瞬く間に最高峰の一角を占めるようになりました。
第二次世界大戦による中断を経て、戦後は米国ゴルフが世界を席巻します。サム・スニード・ベン・ホーガン・バイロン・ネルソンの三巨頭が活躍し、米ツアーの大会数と人気が着実に拡大しました。なかでもホーガンは1949年の交通事故からの劇的な復活で、ゴルフの枠を超えた英雄となります。
国際化も進み、1953年には国別対抗戦キヤノダ・カップ(Canada Cup、現 World Cup of Golf)が創設されました。そして日本ゴルフ史にとって決定的な出来事が1957年に起こります。霞ヶ関カンツリー倶楽部で開かれたこの大会で、中村寅吉と小野光一の日本チームが米国(スニード/デマレー組)を9打差で破って団体優勝。中村は個人戦も制しました(IGF)。この勝利が戦後日本のゴルフブームに火をつけたとされています。
1960年代のプロゴルフは、アーノルド・パーマー・ジャック・ニクラス・ゲーリー・プレーヤーの「ビッグスリー」が牽引しました。豪快なプレーと人間的な魅力でファンを増やしたパーマーには「アーニーズ・アーミー」と呼ばれる大応援団が生まれ、ゴルフは一部の愛好家のものから大衆的なスポーツへと変わります。
この変化を決定づけたのがテレビ中継です。試合が全米の家庭の茶の間に届くようになると、スポンサー料と賞金の規模が一気に膨らみ、プロにとって大会は大きなビジネスへと姿を変えました。
南アフリカのプレーヤーが加わったことでツアーは国際色を帯び、米国出身でない選手が世界の頂点を争う光景も当たり前になっていきます。こうして拡大した賞金とテレビ放映権をめぐり、次の10年で組織のあり方が大きく問われることになります。
テレビ放映権料の急増は、やがてPGA of America 内部の対立を生みます。トーナメントを回る「試合プロ」は増えた収入を賞金に回したいと考え、一方の協会側は地域のゴルフ普及やクラブプロ支援にあてたいと主張しました(PGA TOUR 公式)。
対立は1968年夏に頂点に達し、試合プロたちはいったん独自団体(APG)の結成にまで踏み切ります。最終的に同年12月、協会内に完全自治の「Tournament Players Division(トーナメント・プレーヤーズ部門)」を設けることで決着しました。これが後の PGA TOUR の母体です。
この部門は1975年、コミッショナーのディーン・ビーマンのもとで正式に「PGA TOUR」へと改称されます。今日「PGA TOUR」と「PGA of America」が別組織なのは、このときの分離に由来します。前者は試合運営の商業組織、後者はクラブプロ中心の職能団体という役割分担です。
米国でツアーが商業組織として独立する一方、欧州でも各国オープンを束ねる動きが進みました。欧州ツアー(European Tour、現 DP World Tour)は1972年シーズンを公式の初年度としています(DP World Tour)。当初は英国 PGA と大陸側の大会が別々のオーダー・オブ・メリット(賞金ランキング)で並走していましたが、1970年代を通じて統合が進み、1977年に「European Tournament Players Division」として一本化され、ツアーとしての形が固まっていきます。
この確立期を象徴するのがスペインの天才セベ・バレステロスの登場です。1979年には全英オープンを制し、翌1980年にはマスターズを欧州勢として制覇。低迷していた欧州ゴルフに自信を取り戻させました。
組織面でも1979年は節目の年でした。それまで英国・アイルランド(GB&I)対米国で行われていたライダーカップが、大陸欧州の選手を加えた「チーム欧州」対米国へと拡大します。これにより米欧二大ツアーが互角に渡り合う時代が本格的に始まりました。
1980〜90年代、プロゴルフは世界規模のビジネスへと成熟します。アジアや日本でも組織化が進み、JGTO(日本ゴルフツアー機構)の前身となる男子ツアー、アジアンツアー、韓国の KLPGA など各国のツアーが整っていきました。女子ではアニカ・ソレンスタムやジュリ・インクスターらが活躍し、LPGA が黄金期を迎えます。
そしてこの時代を決定的に変えたのがタイガー・ウッズです。1997年、21歳の彼はマスターズを当時の最年少・最多打差(12打差)で制覇。圧倒的なプレーと幅広い人気で観客動員・テレビ視聴率・スポンサー契約のすべてを押し上げ、賞金の桁を文字どおり変えました(PGA TOUR 公式)。
タイガー効果でツアー全体の賞金総額が膨張し、ゴルフは一握りのスターが莫大な富を得るグローバル・エンターテインメントへと姿を変えていきます。
個々の大会の集合体だったツアーに、「シーズンを通した総合王者」という新しい評価軸を持ち込んだのがFedExCupです。2007年、PGA TOUR はシーズン通算ポイントで年間チャンピオンを決めるこの仕組みを創設しました。プレーオフ方式を男子プロゴルフに本格導入した初の試みで、初代王者はタイガー・ウッズでした(PGA TOUR 公式)。
この「年間王者制度」は世界各ツアーに広がります。欧州ツアーは2009年にレース・トゥ・ドバイを、LPGA は2014年にレース・トゥ・CMEグローブを導入。日本の JLPGA も賞金ランキングに加えてポイント制の年間表彰を整えるなど、各ツアーがそれぞれの形で年間総合戦を磨きました。
単発の大会優勝とは別に「シーズンを最も安定して戦い抜いた選手」を称える評価軸が定着し、ツアーの物語性とシーズン終盤の注目度が大きく高まりました。
2022年、サウジアラビアの政府系ファンドPIF(公共投資基金)が出資する新リーグLIV Golfが発足し、男子プロゴルフ界はおよそ70年ぶりとも言われる大規模な変動を迎えました。巨額の契約金で有力選手を引き抜いた LIV と既存ツアーの対立により、男子プロゴルフ界は二分されます。
2023年6月には、PGA TOUR・DP World Tour と PIF が事業統合に向けた枠組みで合意したと発表され、世界に衝撃を与えました。ただしその後も具体的な統合の条件をめぐる議論は続いており、状況は流動的です。
似た構想は過去にもありました。2019年に浮上したプレミア・ゴルフ・リーグ(Premier Golf League)や、2021年に取り沙汰されたスーパー・ゴルフ・リーグ(Saudi Super Golf League)は、いずれも LIV Golf の前身的な発想と位置づけられます。1860年の全英オープンに始まったプロゴルフの歴史は、いま PGA TOUR・DP World Tour・LIV Golf の三極構造という新たな局面を進行形で書き換えています。
1860年に英国スコットランドのプレストウィック・ゴルフクラブで開かれた第1回全英オープン(The Open Championship)です。8人のプロが36ホール(12ホール×3周)で競い、ウィリー・パーク・シニアが初代王者となりました。賞金はなく、勝者には革製のチャレンジ・ベルトが贈られました。
もともとは一つの団体でしたが、1960年代にテレビ放映権料が急増し、収入を賞金に回したい試合プロと、ゴルフ普及にあてたい協会側が対立。1968年に試合プロが分離して自治部門(後の PGA TOUR)を設立したためです。現在は PGA TOUR が試合運営の商業組織、PGA of America がクラブプロ中心の職能団体という役割分担になっています。
1934年です。1930年に当時のグランドスラムを達成して引退したボビー・ジョーンズが、クリフォード・ロバーツとともにオーガスタナショナル・ゴルフクラブを築き、その記念競技として開いたのが第1回大会です。初代王者はホートン・スミスで、「マスターズ」の名称は1939年から定着しました。
1926年に日本プロゴルフ選手権、1927年に日本オープンが始まりました。世界に日本ゴルフの名を知らしめたのは1957年で、霞ヶ関カンツリー倶楽部で開かれたキヤノダ・カップ(現 World Cup of Golf)で中村寅吉・小野光一組が団体優勝し、戦後の日本ゴルフブームのきっかけとなりました。
個々の大会の優勝とは別に、シーズンを通して最も安定して戦った選手=年間王者を決めるためです。2007年に PGA TOUR が創設し、男子プロゴルフに本格的なプレーオフ方式を導入した初の試みでした。初代王者はタイガー・ウッズです。
ありました。2019年に浮上したプレミア・ゴルフ・リーグ(Premier Golf League)や、2021年に取り沙汰されたスーパー・ゴルフ・リーグ(Saudi Super Golf League)は、いずれも2022年に発足した LIV Golf の前身的な発想とされています。
古い順に、全英オープン(1860年)、全米オープン(1895年)、全米プロ(1916年)、マスターズ(1934年)です。この4大会が出そろったことで、現代まで続く男子4大メジャーの枠組みが完成しました。
最終更新: 2026-06-01